秋山十郎兵衛
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秋山 十郎兵衛(あきやま じゅうろうひょうえ、? - 天正3年5月21日[1](1575年6月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
生涯[編集]
Wikipedia日本語版では非常に質の悪い秋山十郎兵衛の記事があるが、間違いだらけなので指摘しておくと、秋山万可斎が十郎兵衛の仮名を称した記録は無い。また、忍者であるとの記録も存在しない、名前の読みも「じゅうべえ」では無いので、いかにWikpediaが低質なものかをよく物語る好例となっている。
十郎兵衛の仮名はわかっているが、諱は不詳。また血縁関係なども不詳である。
武田信玄に仕えて諸国への御使者衆を務め、むかで衆に列していたらしい[1]。
『甲陽軍鑑』によると、織田信長への遣いも務めたとあるが、これは一次史料では確認できない。
『甲斐国志』によると、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで戦死したという。