福留儀重
ナビゲーションに移動
検索に移動
福留 儀重(ふくとめ のりしげ、天文18年(1549年) - 天正14年12月12日(1587年1月20日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。官途は隼人佐。土佐長岡郡田辺島城城主。福留親政の子[1]。
略歴[編集]
父と同じく長宗我部元親に仕え、「蛇もハミもそちよれ、隼人様のお通り」と里謡に謡われるほどの武勇の持ち主として知られた猛将であった。本山氏との戦いや土佐郡神森城攻略戦、元親の四国制圧戦争に参加していずれも武勲を立てる[1]。天正5年(1577年)3月に父が伊予国において戦死したため、家督を継承した。
天正14年(1586年)12月12日、戸次川の戦いにおいて長宗我部信親と共に戦死した。享年38[1]。
猛将としてだけではなく、その剛毅な性格から元親を酒樽を砕いて諫言した逸話などでも知られている。田辺島に葬られ、生前の武勇や剛毅な性格から隼人神社の祭神として祀られた[1]。