社会主義革新運動準備会

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社会主義革新運動準備会(しゃかいしゅぎかくしんうんどうじゅんびかい)は、構造改革派系の社会主義運動団体。略称は社革新[1]社革[2]。機関紙は『新しい路線』。

1961年に結成され、1963年に社会主義革新運動に改称した。1967年に日本共産党(日本のこえ)、社会主義統一有志会と合同して共産主義労働者党を結成した。

概要[編集]

1957年9月の日本共産党第14回中央委員会総会で対米従属・二段階革命論の党章草案が採択されると、これに反対して反帝・反独占社会主義革命を主張する構造改革派と党中央との間で論争が起きた(党章論争)。1961年7月の日本共産党第8回大会を契機に離党・除名された中央統制監査委員会議長・春日庄次郎、中央委員・山田六左衛門西川彦義内藤知周亀山幸三、中央委員候補・内野壮児原全五ら構造改革派が、1961年10月に社会主義革新運動準備会を結成した[1][3]。春日が議長、山田・西川が副議長、内藤が事務局長となった[4]

しかし、構造改革論を主柱に連絡協議会組織を目指す春日・山田らと、前衛党結成を目指す内藤・西川らとの間で内部対立が起き、1962年5月に春日らは離脱して統一社会主義同盟(統社同)を結成した[3]。内藤ら社革新の多数派は1963年9月に組織名から「準備会」を取って社会主義革新運動を結成した[2]。1966年7月に統社同、日本共産党(日本のこえ)との間で新組織の結成が議論されたが、社革新内の反内藤派として知られる中村丈夫らはこれに反対して同年11月に社会主義労働者同盟(社労同)を結成した[5]。1967年2月に社会主義革新運動は「日本のこえ」の多数派、統社同の一部(春日らの社会主義統一有志会)と合同して共産主義労働者党(共労党)を結成した。内藤知周が議長、いいだももが書記長に選出された[2]

メンバー[編集]

脚注[編集]

  1. a b 松村良一「社会主義革新運動準備会」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、124頁
  2. a b c 社会問題研究会編『全学連各派――学生運動事典』双葉社、1969年、108-110頁
  3. a b 板橋真澄「統一社会主義同盟」『戦後革命運動事典』189頁
  4. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、154頁
  5. 『全学連各派――学生運動事典』116頁

関連項目[編集]