亀山幸三
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亀山 幸三(かめやま こうぞう、1911年 - 1988年5月28日)は、日本の社会運動家、政治評論家。元・日本共産党中央委員[1]。
経歴[編集]
香川県生まれ[1]。松山高等学校出身で、宮本顕治の3年後輩にあたる[2]。京都帝国大学で共産青年同盟に参加[3]、1932年9月同大学法学部在学中に不敬事件で検挙され[4]、放校処分[5]。1937年12月高松の人民戦線運動で検挙され転向[5][3]。1940年釈放され、鹿島組に入社。戦後の1945年10月日本共産党に入党[5]。1946年2月の第5回党大会で中央委員候補となり、財政部責任者の黒木重徳を補佐[3]。1947年の第6回党大会で中央委員となり、書記局員・財政部長を担当[6]。1950年6月マッカーサーの指令により公職追放(レッド・パージ)[5]。共産党が分裂したいわゆる「五〇年問題」の際は国際派に所属し七中央委員の1人となる[6]。1951年自己批判して党に復帰[6]。1955年7月の第6回全国協議会(六全協)後、自治体対策部長を担当[1]。1958年7月の第7回党大会で中央委員となるが[5]、1961年の第8回党大会前に党章草案反対の声明を公表して除名された[3]。春日庄次郎、山田六左衛門らの社会主義革新運動準備会に参加し、選対部長を担当[7]。晩年は「徳田球一記念の会」理事となった[8]。
著書[編集]
- 『代々木は歴史を偽造する』 経済往来社、1976年
- 『戦後日本共産党の二重帳簿』 現代評論社、1978年
分担執筆[編集]
- 『社会主義への日本の道――日本共産党綱領草案への意見書』 春日庄次郎編、新しい時代社、1961年
- 『日本共産党史――私の証言』 日本出版センター編、日本出版センター、1970年
脚注[編集]
- ↑ a b c 亀山 幸三(カメヤマ コウゾウ)とは コトバンク
- ↑ 亀山幸三「六全協の秘密」、日本出版センター編『日本共産党史――私の証言』日本出版センター、1970年
- ↑ a b c d 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、112頁
- ↑ 「京洛に暗躍した赤の一味大検挙」『大阪毎日新聞』1933年6月21日付 神戸大学電子図書館
- ↑ a b c d e 鈴木正範「亀山幸三」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』新泉社、1978年、61頁
- ↑ a b c 田中真人「日本共産党「五〇年分裂」はいかに語られたか」『キリスト教社会問題研究』第55号(2006年12月) 宮地健一のホームページ
- ↑ 「7 春日なき春日派の命運(『前進』84号1962年3月15日 武井健人の筆名にて)」『本多延嘉著作選第5巻』 革命的共産主義者同盟再建準備委員会
- ↑ 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、82頁