石橋町
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石橋町(いしばしまち)は、栃木県下都賀郡に属していた町である。日光街道の宿場町であった。平成18年(2006年)1月10日、隣接する国分寺町、河内郡南河内町と新設合併して下野市となり、廃止された。
概要[編集]
壬生町の東に続く町で、昭和29年(1954年)11月に旧石橋町と姿村が合体したことにより、石橋町が誕生した。
この町は中世には多功氏の一族・児山氏に支配されていたが、児山城が上杉謙信に攻め落とされたことにより、以後は属領となる。江戸時代になると日光東照宮が築造されたため、この町は宿場町として栄えることになり、同時に征夷大将軍が日光社参する場合の道中休憩所ともなって、大いに繁栄を迎えた。
町域の大部分が関東平野北部の平坦地であり、中央部を南に流れる姿川流域には沖積低地が開けて水田地帯になっている。町の東境沿いを国道4号線とJR東北本線、東北新幹線が南北に通じており、その沿線に江戸時代に日光街道の宿駅として繁栄した石橋市街がある。市街地周辺や日光街道沿いには食品・機械・繊維工場が立地しており、農産物では米・麦、および干瓢、トマト、胡瓜などの園芸野菜が生産されている。乳牛・肉牛飼育や養豚、養鶏も行なわれているが、専業農家は減少の一途をたどっている。
見どころとしては、日光社参の際に将軍の宿営所として使用された開雲寺、中世まで存在した児山城跡などが存在する。
平成18年(2006年)1月10日、隣接する国分寺町、河内郡南河内町と新設合併して下野市となったことにより、石橋町は廃止された。
人口の変遷[編集]
平成9年(1997年)度の人口は1万9174名である。廃止直前の平成18年(2006年)1月1日時点の人口は2万573名である。
行政[編集]
- 町長:新井活也(1998年 - 閉町時)
地域[編集]
教育[編集]
- 栃木県立石橋高等学校
- 石橋町立石橋中学校
- 石橋町立石橋小学校
- 石橋町立石橋北小学校
- 石橋町立古山小学校
- 石橋町立細谷小学校
交通[編集]
鉄道路線[編集]
道路[編集]
- 高速道路
- 一般国道
- 県道(主要地方道)