南河内町

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みなみかわちまち
南河内町
日本国旗.png日本
地方関東地方
所属栃木県河内郡
人口2万857 人
面積31.53 km2
備考平成の大合併により廃止

南河内町(みなみかわちまち)は、栃木県河内郡に属していたである。平成18年(2006年1月10日、隣接する下都賀郡国分寺町、同郡石橋町と新設合併して下野市となり、廃止した。

概要[編集]

上三川町の南に続いていた町で、昭和30年(1955年4月吉田村薬師寺村の2村が合体して南河内村となる。昭和46年(1971年4月町制施行したことにより、南河内町が誕生した。

この町は大部分が平地であり、東部を鬼怒川、中央部を田川が南に流れている。そして両方の沿岸の稲作や畜産、野菜栽培中心の営農が行なわれており、南東部の鬼怒川沿いでは副業に結城紬も製織されている。

見どころとしては下野薬師寺跡、東根供養塔太平洋戦争前までは郷社であった本吉田の吉田八幡宮、栃木県天然記念物の龍興寺のシラカシなどがある。

平成18年(2006年)1月10日、下都賀郡国分寺町、同郡石橋町と新設合併して下野市となったことにより、南河内町は廃止された。

人口の変遷[編集]

平成9年(1997年)度の矢板市の人口1万9846名である。廃止直前の平成18年(2006年)1月1日時点の人口は2万857名である。

行政[編集]

  • 南河内村長
氏名 就任 退任 備考
1 岩瀬鉾太郎 1955年(昭和30年)5月20日 1959年(昭和34年)5月19日 元吉田村長
2 園部一郎 1959年(昭和34年)5月20日 1967年(昭和42年)5月19日 元薬師寺村長
3 野沢宗治 1967年(昭和42年)5月20日 1971年(昭和46年)3月31日
  • 南河内町長
氏名 就任 退任 備考
1 野沢宗治 1971年(昭和46年)4月1日 1991年(平成3年)5月19日
2 坂本信亥 1991年(平成3年)5月20日 1999年(平成11年)5月19日
3 宇賀持正紀 1999年(平成11年)5月20日 2006年(平成18年)1月9日 下野市の市長職務執行者に就任

地域[編集]

教育[編集]

  • 自治医科大学
  • 自治医科大学看護短期大学
  • 南河内町立南河内中学校
  • 南河内町立第二中学校
  • 南河内町立祇園小学校
  • 南河内町立緑小学校
  • 南河内町立薬師寺小学校
  • 南河内町立吉田西小学校
  • 南河内町立吉田東小学校

現在、南河内町立は下野市立になっている。

交通[編集]

道路[編集]

バス[編集]

  • 自治医大駅東口よりふれあい館行き町内循環バス(福祉巡回バス)ふれあい号が、ふれあい館の休館日を除く平日のみ運行されている。
  • 一般路線バス - 関東自動車

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

  • 下野薬師寺
  • エコライフまつり
  • 白鳳ふれあい祭(旧南河内町民まつり)

外部リンク[編集]