田中みお
プロフィール | |
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別名義 | 少女M |
生年月日 | 1968年11月27日 |
現年齢 | 55歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | O |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 161 cm / ― kg |
スリーサイズ | 83 - 60 - 83 cm |
カップサイズ | B |
活動 | |
デビュー | 1982, 『ROMANCE Part2』 |
ジャンル | グラマー(グラビアアイドル) |
モデル内容 | ヌード |
他の活動 | 女優 |
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田中 みお(たなか みお、1968年11月27日 - )は、日本のモデル、女優。東京都豊島区池袋出身[1]。
来歴・人物[編集]
1982年9月、通信販売のみの発売で送料込みの1万5千円の豪華写真集『ROMANCE Part2』[注釈 1][注釈 2]で少女Mという特異な芸名でヌードモデルとしてデビューした。Mの意味は本人曰く、「未成年のM」である[2]。この時、少女Mこと田中みおは13歳であった[注釈 3]。モデルになったきっかけは、叔母がプロダクションをしており、事務所に遊びに行った時にたまたまそこにいたカメラマンに誘われたからである[3]。少女Mの名付け親もこの叔母で、新聞などで未成年を現す少女Aからヒントを得たという[1]。
1982年の後半というと、まさにロリータブームが本格的になった直後であり[4]、この時期に発売された少女ヌード写真集は、まだ陰毛の生えてない局部はそのまま写し出されていることが多く、この写真集もその例外ではなかった(その1ヶ月後に普及版が発売)。ところが、彼女の場合、無修正のアソコが物議をかもす。この当時、日本人でも白人でも(東南アジア人でも)、ロリータモデルのワレメといえば、ぴったりと閉じたシジミが当たり前だったが、彼女の場合、キヲツケをしている状態で真正面から見ても、ハマグリかアオヤギを股間に挟んでいるのかと疑いたくなるほど剥き身(小陰唇)がはみ出している。しかも、アワビと言ったら言い過ぎだがトリガイ程度の色素沈着が見られる。コアなマニアのなかには、年齢詐称、習慣的な小児自慰、親か兄弟による近親相姦などの妄想を抱く者もいた。マニアの間でも好き嫌いがはっきり分かれたロリータと評価する者もいる[4]。
1983年6月にビデオ『少女M・13歳』が大ヒットする。このビデオは、その後続々と発売されることになる少女ビデオの先鞭をつけた[5][6]。当時の人気は凄まじく、最初の写真集3冊とビデオ2本で4億円近くを稼ぎ出した[1]。
そして少女Mは『週刊プレイボーイ』1982年10月26日号(集英社)を皮切りに、『写楽』(小学館)、『平凡パンチ』(平凡出版)、『GORO』(小学館)、『ビデオボーイ』、『ACTRESS』、『アクションカメラ』など、普通の書店で堂々と?売られるエロ本に登場している。これはマニアの玩賞物としてのロリータというより、大衆のおかずとしての若いメスの扱いである。当時の我が国では、ロリータ写真と言えば「入るのに度胸が必要な書店で売られるビニール本まがいの雑誌」と相場が決まっていた。そんな雑誌のモデルたちは、ツルペタのつぼみ―だからこそマニアに受けた―か、せいぜい開花途上の早春の花びらが一般的であった。そこにデビューした彼女が同時代のロリータたちと一線を画すのは(股間の縦線は隠してない)、13歳ですでに「むにょり」とした円周率を持っていた点である[7]。
1984年7月14日には映画『スクラップ・ストーリー ある愛の物語』が公開される(主演)[注釈 4]。主題歌も歌う。ベッド・シーンでは官能の表情ができず、監督の若松孝二が隠れて足をつねったりして、顔を歪ませて感じた演技をさせた。これについては、「体験がないから演じられなかった」と本人は弁解している[1]。報知映画賞で最優秀新人賞にノミネートされた[8]。また、この当時の自らについては「私、人の顔色を伺いながら話すのってニガテなんです。その人にどう思われようと、自分のやりたいようにヤルッ。“ガマン”とか“忍耐”とか、そーゆー言葉も一切パス。スキゾ型人間の典型なんですよね。」と語っていた[9]。
その後、『週刊プレイボーイ』誌上で読者応募により改名、田中みおとして女優・歌手として活動することを宣言する[10]。そして1985年7月と8月にはライブハウス、新宿ルイードと渋谷TAKE OFF 7で少女M名への訣別コンサートを計4回開催する[11]。
ロリータアイドルの諏訪野しおり[注釈 5]とは同じ事務所で、映画、テレビで共演する機会が多かった。
1985年11月7 - 10日、池袋文芸坐 ル・ピリエにて舞台『ハッピージャンク・シティ』主演。演出は内田栄一。
田中みおとして何本かの映画、テレビドラマに出演したが、1990年代に入ってからの活動記録は確認できるもので『週刊プレイボーイ』(1990年4月17日号)のグラビアのみである。事務所によると、本人に芸能活動をする気が全くないので仕事は全て断っているとのこと[3]。
人物[編集]
姉と弟と妹がいる[1]。なお、少女Mの妹という触れ込みでデビューした少女Nは妹ではなくて、従姉妹である[注釈 6]。
趣味は読書とビリヤード。特技はスキンダイビング。スポーツは他にテニス、剣道、水泳、ゴルフをこなす、スポーツ好きである[12]。チェッカーズのファンである[1]。
その他[編集]
ロリコン雑誌のライターが彼女の所属事務所の逆鱗に触れたことがある。「ビロビロワレメのM」なんて書くから悪いのだが、彼女と妹分の諏訪野しおりを抱える事務所としては、明らかにロリータブームを足掛かりにして芸能界進出を狙っていた。それだけにイメージは死守しなければならない。
当時のロリータはフリーランスか、ファッション系モデルクラブか児童劇団の中小零細に所属しているという程度だった。先述のライターも、「どうせ中小零細」と見くびっていたのかもしれない。大手だったら、ドラマやCM、有名ブランド系のカタログ誌などの仕事に困らないであろうから、そう簡単に大事な青い果実の皮を剥くとは思えない[13][注釈 7]。
フィルモグラフィ[編集]
VHS・LD[編集]
- 少女M・13歳(日本ビデオ映像 監督 代々木忠 1983年)
- 一年後の少女M(宇宙企画 1983年)
- コーラル・プリンセス モルディブ編(日本コロムビア 1984年)
- 人魚になった少女M・エルニド島(日本コロムビア 1984年)
- 大人になった少女M(ジャパンホームビデオ 1984年)
- 少女M・華麗なる出発(たびだち)(ジャパンホームビデオ 演出:井筒和幸 1984年9月21日)
- 少女M・セイシェルの想い出(日本コロムビア 1985年)
- 以上、少女M名義
- みおの香港スキャンダル(笠倉出版 1988年)
テレビ[編集]
- トゥナイト(テレビ朝日 1984年)映画「スクラップ・ストーリー ある愛の物語」公開に合わせてのインタビューでVTR出演(インタビュアーは当時番組サブ司会格の渡辺宜嗣)
- セーラー服応援団!乙女白書(フジテレビ 1986年)
- セーラー服反逆同盟第14話(日本テレビ 1986年)
- 恋物語(TBS 1986年)
- 花嫁殺し(テレビ朝日 1987年)
映画[編集]
- スクラップ・ストーリー ある愛の物語(ジョイパックフィルム、監督・若松孝二、1984年)- 康子役(主演)
- 落葉樹(近代映画協会、監督・新藤兼人、1986年)
- 嵯峨野の宿(にっかつ、1987年)藤岡香織役
- 女衒 ZEGEN(東映、監督・今村昌平、1987年)
- キスより簡単(東映クラシックス、監督・若松孝二、1989年)
出版[編集]
- ROMANCE Part2(サン美術出版 1982年)
- ROMANCE Part2 普及版(竹書房 1982年)
- めざめ(英知出版 1984年)
- 楽園から来た少女 週刊プレイボーイ特別編集(集英社 1985年)
- Beppin4月号増刊 ロリータ・スクランブル(英知出版 1985年)
- 25SCANDAL(ぶんか社 1992年)※オムニバス
- 以上、少女M名義
- 田中みお写真集~19歳の記念に~(近代映画社 1988年)
- あなたへ・・・私は「不等記号」-Mにさよなら(山手出版 1985年7月1日)※本人のエッセー
ディスコグラフィ[編集]
- スクラップ・ストーリー/夜明け前のエピローグ(日本コロムビア 1985年)※少女M名義
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 「四億円稼いだ少女Mの性熟度」、『週刊現代』第26巻第26号、講談社、1984年、 52-53頁、 。
- ↑ 荒木経惟 『荒木経惟の熱烈ラヴラヴトーク』 双葉社、1998年9月25日、737頁。ASIN: B01LTIA54M。
- ↑ a b 『アイドルが脱いだ理由(わけ)―あの日、あの時、"彼女たち"はなぜ決心したのか!?』 宝泉薫、宝島社〈別冊宝島Real〉、2001年、95-98頁。
- ↑ a b さいだいしや. “外見だけでなく脱いでも13歳とは思えぬ特徴を持つ肉体に賛否両論 少女M”. うぶモード. 2020年3月10日確認。
- ↑ 『80年代AV大全』 双葉社〈好奇心ブック36〉、1999年、13頁。
- ↑ 『20世紀のアダルトビデオ:AVというワンダーランドを再発見!』 アスペクト〈特集アスペクト56〉、1998年、3頁。ISBN 4757202504。
- ↑ “少女Mを覚えていますか”. ピンクサイドを歩け (2011年5月1日). 2020年3月10日確認。
- ↑ 『ビデオボーイ』第11号、英知出版、1985年、 7-10頁。
- ↑ 「84年フレッシュ選抜ユニーク新人大会」、『DUNK』第4号、集英社、1984年、 184-185頁。
- ↑ 『Weeklyプレイボーイ』第22巻第4号、集英社、1987年、 9頁。
- ↑ 荒木秀明「夢・秘められた可能性 少女M改め田中みお」、『マンスリー平凡パンチ』第10巻第8号、マガジンハウス、1985年、 14-18頁。
- ↑ 田中みお 『あなたへ……私は「不等記号」―Mにさよなら』 山手書房、1985年、162頁。ASIN: B000J6UGKY。
- ↑ さいだいしや. “外見だけでなく脱いでも13歳とは思えぬ特徴を持つ肉体に賛否両論 少女M(後編)”. うぶモード. 2020年3月10日確認。