甘棠院

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甘棠院(かんとういん)は、埼玉県久喜市本町7丁目にある寺院である。山号は永安山(えいあんざん)。宗派臨済宗円覚寺派

概要[編集]

久喜駅から北西におよそ1.2キロの地点にある寺院である。室町時代後期の永正9年(1512年)、古河公方の第2代・足利政氏は、息子の足利高基と主導権を巡って争い、永正15年(1518年)にこの争いに敗れて久喜にある館に隠退した。政氏はこの館を翌年に寺院に改め、貞巌和尚を招聘して開山とした。これが寺院の起源とされる。なお、寺の名前の甘棠院とは、政氏の法名である「甘棠院殿吉山長公大禅定門」からよるものである。

寺の広さはおよそ6500平方メートルで、足利政氏館跡および墓として埼玉県の史跡に指定されており、土塁や空堀が現在でも一部残されている。堂宇には本堂・庫裏・山門などがある。

古河公方・足利氏に由来する寺院だけあり、足利政氏に関する書状や像など、寺宝は非常に多い。なお、紙本著色伝貞巌和尚像は国の重要文化財に指定されている。

境内[編集]

  • 本堂
  • 墓地
  • 梵鐘
  • 足利政氏の墓
  • 空堀 - 境内南側と西側に水堀跡が残る(現在は空堀)。
  • 境内の井戸(現在は電動ポンプ)の水は、質がよいとされ、地元の寒梅酒造、小林酒造(現在は閉鎖、久喜市本町1丁目)などの酒蔵でこの水を日本酒の醸造に使用している。
  • 境内北側の養護老人ホーム皆楽荘(久喜市上清久に移転)跡地は甘棠院史跡公園として整備されている。
  • 境内南側の空堀南側には甘党院児童遊園という小さな公園が所在する。同公園内に山門および庚申塔が建立されている。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 紙本着色伝貞巖和尚画像

重要美術品(国認定)[編集]

  • 十三仏版木
  • 銅製九曜菊散双雀鏡 - 政氏夫人の遺品。

埼玉県指定有形文化財[編集]

  • 絹本着色足利政氏像 - 政氏が没する10年前、55、6歳ごろの姿を写した寿像

埼玉県指定史跡[編集]

  • 足利政氏館跡及び墓 - 1925年大正14年)3月31日指定。

その他[編集]

  • 紙本着色 足利政氏夫人像 - 政氏の肖像画と対。
  • 歴代住職頂相 - 開基像、開山像ほか先代20世までの画像。紙本着色。
  • 足利政氏の書状 - 政氏が鎌倉の円覚寺146世芳林中恩に宛てたもの。
  • 石臼
  • 徳川歴代将軍朱印状(写) 付 朱印箱・朱印長持 - 天正19年(1591年徳川家康による寄進状以来、将軍の代替わりのたびに改められ約100通。
  • 鎮心丹版木
  • 甘棠院由緒書 - 3点。
  • 甘棠院掟書 - 安永9年7月。
  • 谷文晁筆 絹本墨画 富士昇竜図
  • 本尊 釈迦三尊像
  • 紙本着色 釈迦涅槃図 - 春信筆
  • 木造 足利政氏像 - 昭和42年(1967年)不審火のため消失。

甘棠院旧蔵の文化財[編集]

  • 縹糸威最上胴丸具足(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵) - 政氏が幼年の頃に着用したもの。
  • 道憲作十文字槍(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵) - 政氏の遺愛品。
  • 源氏車紋鞍 付 障泥・鐙・轡(県指定有形文化財)(埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)

アクセス[編集]

  • 久喜駅西口より朝日バス菖蒲仲橋行に乗車、「本町2丁目(乗車約3分)」下車北側へ徒歩約3分。(運賃100円)
  • 久喜駅西口の久喜市市内循環バスのりばから「久喜本循環 右回り」または「六万部・北中曽根循環」に乗車、「斉藤医院前(乗車約3分)」下車北側へ徒歩約4分。運賃はいずれも100円(1日乗車券は200円)[1]
  • 久喜駅西口より徒歩約15分。(道程約1km

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 市内循環バス - 久喜市ホームページ