瑞泉寺 (京都市)

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瑞泉寺(ずいせんじ)とは、京都府京都市中京区木屋町通三条下る石屋町114−1にある寺院。宗派は浄土宗西山禅林派。開山は慈舟山桂叔

概要[編集]

高瀬川に架かる三条小橋の東詰近くにある寺院で、慈舟山と号している。この寺は安土桃山時代に天下人となった豊臣秀吉に実子が無かったため、秀吉の姉の子である豊臣秀次が秀吉の養子となって関白職を継承したが、文禄2年(1593年)に秀吉の側室である淀殿に秀吉の3男となる豊臣秀頼が生まれたため、秀吉は秀次に関白職を譲ったことを後悔し、文禄4年(1595年)に秀次を謀反の罪で高野山に追放して切腹させ、さらに一族や妻妾、家臣なども悉く皆殺しにした。秀吉没後、政権が徳川家康に移って江戸幕府が成立すると、秀吉によって秀次やその妻妾・一族など29名が「秀次悪逆塚」と石塔に刻まれて罪人のように葬られていることを哀れんだ商人・角倉了以慶長16年(1611年)に悪逆の2文字を削って塚を修築し、さらに堂宇を建立して秀次やその妻妾らの冥福を祈ったという。瑞泉寺の「瑞泉」は秀次の法名である瑞泉寺殿高厳一峯道意から取られたものである。

現在の本堂や庫裏は江戸幕府第5代征夷大将軍・徳川綱吉の時代である天和3年(1683年)に角倉素庵によって建立され、境内の西側に秀次と一族29名の墓所がある。墓前の左右にある49基の小五輪石塔は昭和17年(1942年)に大阪豊公会が建立したもので、それぞれに秀次の子5名、妻妾や侍女など34名、殉死者10名の俗名、法名、年齢が刻まれている。

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