潘濬
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潘 濬(はん しゅん、? - 239年)は、中国の後漢末期から三国時代の呉にかけての武将・政治家。字は承明(しょうめい)[1]。妻は蒋琬の妹。従兄は蒋琬。子は潘翥・潘祕・娘(孫慮の妻)。
生涯[編集]
荊州武陵郡漢寿県の出身[1]。最初は劉表に招聘されて江夏郡の従事となる[1]。208年に劉表が死去すると劉備に仕えて政治家として荊州統治に貢献した[1]。219年に関羽が孫権に殺されると孫権の招聘を受け、輔軍中郎将に任命され、229年に孫権が皇帝に即位すると少府に任命され、さらに太常に昇進する[1]。陸遜と共に武昌を守備して蜀や魏に備えた[1]。
『三国志演義』では219年に関羽が出陣する前に荊州の留守居役として登場するが、演義が蜀贔屓のため関羽正当化の立場から同僚の王甫から「利に走る信用できない男」と蔑まれている記述がある。荊州陥落後は孫権に仕えて現職に留まり、以後の登場は無い。