満州

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満州、あるいは満洲(まんしゅう、英語: Manchuria)は、中国東北部を拠点とする民族名であり、満州族の住む地域を指す地名でもある。

概要[編集]

旧来からの満洲族の土地である、中国遼寧省吉林省黒竜江省内モンゴル自治区のうちフルンボイル市に加え、現在ロシア領の沿海地方ユダヤ自治州アムール州ハバロフスク地方のうちアヤノ・マイスキー郡オホーツク郡を除く地域が概ね満州の範囲である。

名称[編集]

満洲族はかつて「靺鞨」「女真」などと呼ばれていた。の初代皇帝である女真族のヌルハチが、民族名を「満洲」に変更し、以降満洲族と呼ばれる様になった。

地理[編集]

北部がアムール川の、南部が遼河の流域となっている。なおヌルハチは遼河流域の出身である。

標高2,744mの白頭山が最高峰で、満州では神聖な山とされてきた。なお中国と北朝鮮の国境となっていて、北朝鮮・韓国でも神聖視されている。

最大の都市は瀋陽で、その他大連長春ハルビンウラジオストクハバロフスクが主要都市である。

気候[編集]

亜寒帯冬季少雨気候(Dwa,Dwb)に属する地域が多い。夏の暑さは北海道レベルだが、冬は北海道よりはるかに寒冷となる。

歴史[編集]

紀元前1世紀頃より、中国が満州南部に進出、遼東郡(現在の遼寧省中部)や玄菟郡(現在の遼寧省東部)を設置した。その後、高句麗が建国され、5-7世紀に満州最大の国であったが、668年に滅亡した。

その後の支配を経て、再び698年に渤海国として独立。926年に、内モンゴルのに滅ぼされた。1115年に、女真族の王朝であるが建国され、北宋の一部に攻め込んで中国北部を支配する大国となった。

金王朝は1234年にモンゴル帝国に滅ぼされ、13,14世紀はモンゴル()の支配下に置かれる。15,16世紀はの領地となり、満州には奴児干都司が設置された。

1616年に満洲族のヌルハチが後金、後のを建国。中国全土を支配する大国となり、ロシアとネルチンスク条約を結んで満州の領域が確定した。しかしその後は衰退し、1858,1860年の条約でウラジオストクなど日本海沿岸がロシアに割譲され、1912年の辛亥革命で王朝は終わりとなった。

その後、満州国が建国されて一時的に中国から独立したが(独立したと言っても日本の影響を強く受けていた)、第二次世界大戦後中華人民共和国東北部となり、現在に至る。

脚注[編集]