温湯城
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温湯城(ぬくゆじょう)は、石見国邑智郡、現在の島根県邑智郡川本町にあった日本の城である。石見小笠原氏の居城。
概要[編集]
川本町の中心街・川本の東にあった山城。北は江の川、その他は谷に囲まれ、標高200メートルの山頂に本丸、北方屋根に一の平、二の平を持つ天然の要害である。
室町時代初期に小笠原左近将監によって築城された。それから7代目の小笠原長性の子が都賀谷や君谷に、11代の小笠原長定の子が都賀西や長谷などに分かれて支配し、邑智郡一帯を支配する大豪族に成長した。
12代目の小笠原長隆の時代である享禄4年(1531年)、及び天文10年(1541年)、石見銀山を攻略して勢力をさらに拡大した。だがそれは、尼子氏や大内氏ら大勢力を敵に回すのと同義であり、13代目の小笠原長徳の時代に尼子晴久に攻められて降伏。14代目の小笠原長雄の時代である永禄元年(1558年)、大内氏に代わり大勢力となった毛利元就の3男・小早川隆景率いる毛利軍に攻められて落城した。
現在はわずかに残る石塁跡が往時を忍ばせるのみである。