池田貞秀

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池田 貞秀(いけだ さだひで、永禄元年(1558年) - 元和5年(1619年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将島津氏家臣[1]

略歴[編集]

父は池田土佐守島津義弘に仕えて天正8年(1580年)から7年間にわたり、軍談の際に呼ばれた54人のうちの1人で、軍功が特に多いことで知られていた。日向国伊東氏との戦いや堅志田合戦、豊薩合戦小田原征伐朝鮮出兵庄内の乱などでいずれも参戦して武功を立てた。慶長5年(1600年)には出水の足軽大将に任命される[1]

元和5年(1619年)に義弘が死去すると、殉死した。享年62。法名は孝翁永忠[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 三木靖「島津義弘のすべて」P226

参考文献[編集]