永田 景弘(ながた かげひろ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。六角氏、次いで織田氏の家臣。
通称は刑部少輔。最初は近江の守護大名である六角氏に仕えた。永禄11年(1568年)に六角氏が織田信長に攻められて没落すると、信長に臣従する。永禄12年(1569年)8月には信長の伊勢国司・北畠具教攻めに従軍した。元亀元年(1570年)5月に信長から本領の近江高島郡・中郡における所領安堵を受けている。天正元年(1573年)7月に信長の足利義昭の籠城した槇島城攻め、次いで朝倉義景討伐に参加している。記録上では信長の伊賀攻めに参加したところまでは確認できるが、これを最後に消息不明となっている。