武藤信堯
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武藤 信堯(むとう のぶたか、?‐天文19年10月1日(1550年11月9日))は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。武田信玄の母方の叔父に当たる。また、真田昌幸の養父に当たるという説がある。
略歴[編集]
父は大井信達で3男。武田晴信(信玄)の母・大井の方の弟に当たり、武田信虎・晴信に仕えた。通称は武藤三郎左衛門尉。
天文19年(1550年)10月1日、晴信に従って従軍していた村上義清との戦いで大敗(砥石崩れ)した際に戦死した。
家督は子の竹千代丸(後の武藤三郎左衛門尉)が継承したとも、実弟の武藤常昭、あるいは真田幸隆の3男・源五郎(後の真田昌幸)が武藤喜兵衛と称して養子になったとも言われており、この辺りはよくわかっていない。