武藤三郎左衛門尉
ナビゲーションに移動
検索に移動
武藤 三郎左衛門尉(むとう さぶろうざえもんのじょう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田信玄の母方の従弟に当たる。甲斐武田氏の家臣。真田昌幸の養父か義兄弟に当たる。
生涯[編集]
父は武藤信堯。信堯は大井信達の3男なので、この三郎左衛門尉は信玄の母方の従弟に当たる。幼名は竹千代丸。なお、父の信堯も三郎左衛門尉を称している。
父の信堯は天文19年(1550年)10月1日に砥石崩れで戦死しており、その跡を竹千代丸が継承したとも、弟の武藤常昭がその名跡を継承し、竹千代丸が成長してから家督を譲られたともいわれている。
この三郎左衛門尉は元亀3年(1572年)までには死去していたようであり、その家督は真田源五郎が継承して武藤喜兵衛と称した。