楽田城
ナビゲーションに移動
検索に移動
楽田城(がくでんじょう)は、尾張丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった日本の城である。「日本で初めて天守閣が建立された城」とされている。
歴史[編集]
楽田城の築城は尾張の守護代であった織田氏の一族である織田久長が永正元年(1504年)頃にしたものとされている[1]。犬山城の5キロメートル南にあった。城郭は東西に約72メートル、南北約97メートルであり、二重の堀に囲まれていたという[1]。なお、『遺老物語』によると永禄元年(1558年)に楽田城に高さ5メートルの壇を築き、その上におよそ12メートルと15メートルの櫓を建てて、階上の中央に八畳敷ほどの座敷を設けたとされており、これが日本初の天守閣とされている。
楽田城は戦国時代には織田信長の支配下にあり、信長の従兄弟である犬山城主・織田信清が信長と争った際に一時的に信清の手に帰したが、信清は信長に敗れてすぐに信長の下に戻り、信長は信任する家臣・坂井政尚を城主とした。しかし坂井は信長包囲網が敷かれてその戦いのひとつである堅田の戦いで戦死したため、梶川高盛が城主となる[1]。
信長没後、信長の次男・織田信雄と羽柴秀吉との間で小牧・長久手の戦いが起こると、楽田城は羽柴方に帰し、堀秀政が守将となり、後に徳川家康と対峙することになった秀吉も犬山城からこの楽田城に移って本営としている[1]。
その後、楽田城は廃城となった。後年、城跡は犬山市立楽田小学校の一部となり、土塁も大部分が壊されたが、一部は現在も現存して「楽田城址」の石碑が建立されている[2]。