楊昂
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楊 昂(よう こう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。張魯の家臣[1]。
生涯[編集]
212年に曹操に敗れて再起を果たした馬超を張魯の命令で支援する[1]。そして馬超に降伏した曹操配下の涼州刺史である韋康を馬超の命令で殺害した[1]。
215年7月の曹操の漢中郡侵攻では張衛・楊任らと陽平関を守備して曹操軍を1度は撃退したが、曹操軍の夜襲にあって楊任が討たれる大敗を喫した際に楊昂はどうなったのか以後の記録は無い[1]。
『三国志演義』では楊任と共に陽平関を守り、奇襲をかけて夏侯淵や張郃らを撃退する。しかし血気にはやって曹操が策略で撤退したのを本当の撤退と誤解し、同僚の楊任が諌めるのも無視して追撃を敢行し、これが原因で陽平関は落とされ、楊昂は曹操軍と乱戦に陥って張郃と一騎討ちの末に殺害された。