張衛
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張 衛(ちょう えい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。字は公則(こうそく)[1]。父は張衡。母は盧氏。兄は張魯。弟は張愧。甥は張富ら。
生涯[編集]
豫州沛国豊県の出身[1]。215年に曹操が漢中郡に侵攻した際、楊任や楊昂と共に陽平関で抗戦する[1]。1度は曹操軍を撃退したが、曹操軍が撤退するとそれで警戒を怠り、結果曹操軍の伏兵の夜襲にあって大敗して降伏した[1]。『世語』によると数千頭の鹿が夜半に陣営に紛れ込んだためパニックになってしまったという。『漢天師世家』によると曹操から昭義将軍に任命されたという。
『三国志演義』では陽平関を守る大将の一人で、兄に対して徹底抗戦を主張する。最後は曹操軍と戦い、許褚と一騎討ちをして討たれた。