楊任
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楊 任(よう じん、? - 215年)は、中国の後漢末期の武将。張魯の家臣。
生涯[編集]
張魯に仕えた武将で、215年に曹操が漢中郡に攻め寄せると、張衛や楊昂と共に陽平関に籠もって守備する[1]。1度は曹操軍を撃退したが、曹操が撤退すると油断したため高祚率いる曹操軍の夜襲にあって敗死した[1]。
『三国志演義』では楊昂と共に陽平関で曹操軍を迎撃し、夏侯淵や張郃らに奇襲をかけて1度は撃退する。しかし楊昂の無謀な追撃で陽平関は落とされ、楊任は撤退し張魯に斬られそうになるが名誉挽回を願って再度軍を預けられて出撃する。だが緒戦で煮え湯を飲まされて同じく名誉挽回に燃える夏侯淵に迎撃され、最後は一騎討ちの末に討たれた。