曽根河内守

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曽根 河内守(そね かわちのかみ、? - 天正10年(1582年)3月)は戦国時代武将甲斐武田氏家臣

生涯[編集]

武田二十四将のひとりである曽根昌世とその父である曽根虎長の近しい親族とされる。曽根氏の庶流にあたる。父は曽根上野守(あるいは下野守)。弟に曽根掃部助がいる。

天正7年(1579年)10月から天正8年(1580年)12月にかけて竜朱印状の奉書が3点ほど確認されている。また、武田勝頼から駿河国沼津城を任されていた。

天正10年(1582年)3月、織田信長による武田征伐の際、駿河国が徳川家康に攻められると沼津城を放棄して甲斐国に後退。そして甲府織田氏に占領された際に父や弟と共に処刑された。