曹拠
ナビゲーションに移動
検索に移動
曹 拠(そう きょ、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の皇族。曹操と環夫人の次男。同母兄は曹沖。同母弟は曹宇。異母兄は曹丕・曹彰・曹植ら。子は曹琮・曹範・曹闡ら。曹據とも書かれる。
生涯[編集]
211年に范陽侯に封じられ、曹丕が文帝として即位すると母の故郷である彭城王に封じられる[1]。224年に文帝により定陶県王に封じられるが、明帝の時代に彭城王に復し、領邑は4600戸を数えた[1]。
『魏略』において254年の嘉平の変の際に司馬師が当時の皇帝である曹芳を廃した際、新帝として曹拠を推挙したとある。しかし郭太后の反対で皇帝にはなれなかったという。
『三国志演義』では曹芳が廃された際に司馬師から新帝に推挙される時のみ名前だけ登場する。
長兄の曹沖が196年生まれのため、少なくとも60歳近くまで生きていたことになり、曹操の子の中では長命だった。