明元皇后郭氏
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明元皇后郭氏(めいげんこうごうかくし、? - 263年)は、中国の三国時代の魏の明帝の皇后。諡号は明元皇后。
生涯[編集]
荊州西平郡の出身。河右の豪族の娘であったが、文帝の時代に西平郡において叛乱が起こったため、連座して後宮に没収された[1]。曹叡の即位後、大いに寵愛され夫人(妃の位の一、皇后に次ぐ)となった[1]。239年に明帝の崩御の直前に皇后に立てられ、明帝崩御後に曹芳が即位すると皇太后に列し、自らは永寧宮と称した[1]。その後、国政の実権が曹爽や司馬懿らに移っていく中で、形式的に皇太后として利用されている[1]。254年の曹芳の廃位、260年の曹髦の殺害におけるその後の処理などでは常に皇太后の命令として司馬師や司馬昭らから利用された。263年に死去[1]。