曹志
ナビゲーションに移動
検索に移動
曹 志(そう し、? - 288年)は、中国の三国時代の魏の皇族。後に西晋の政治家。字は允恭(いんきょう)[1]。祖父は曹操[1]。父は曹植[1]。伯父は魏の初代皇帝の文帝と曹彰。従兄弟に第2代皇帝の明帝。兄は曹苗。姉妹は女子2人。従弟は曹嘉(高邑公)。
生涯[編集]
学問を好み、才能や品行に優れていた[1]。曹植は文帝・明帝から警戒されて冷遇されており、そのため魏が滅亡して西晋が成立すると曹志は武帝から認められて重用され、中撫軍をはじめとして郡の太守など地方官を歴任する。そして中央に戻り散騎常侍や国子博士、博士祭酒と昇進を続けた[1]。283年に武帝が同母弟の司馬攸を転出させようとした際には、かつて文帝が父の曹植を冷遇したのと全く同じだったために懸命に諫めたが聞き入れられず、逆に武帝により免職された[1]。後に許されて散騎常侍に復活している[1]。
母親が死去すると悲しみのあまり発病し、間もなく死去した[1]。曹植の死去が232年のため、少なくとも60歳前後だったと思われる。定公と諡された[1]。