曹彪
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曹 彪(そう ひょう、195年 - 251年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の皇族。字は朱虎[1]。父は曹操。母は孫姫。同母兄弟は曹上・曹勤。異母兄は文帝・曹彰・曹植。子は曹嘉。
生涯[編集]
曹操と孫姫の間の次男[1]。216年に寿春公に封じられ、以後は汝陽公、弋陽王、呉王、寿春県王、白馬王を経て、232年に楚王に封じられる[1]。加増も繰り返されて最終的に領邑は3000戸になった[1]。249年に王凌とその外甥の令狐愚により司馬懿の傀儡となった曹芳に代えて曹彪を擁立するクーデターを企てられ、曹彪もこの話に乗るが令狐愚の急死により計画は一時頓挫する[1]。251年に再度計画を実行に移すが司馬懿に察知され、曹彪は勅命により自殺を命じられた[1]。享年57。
『三国志演義』には登場しない。