春誉妙澄大姉
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春誉妙澄大姉(しゅんよみょうとうたいし、? - 元和4年3月3日(1618年3月29日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。織田信長の側室。加賀藩の初代藩主・前田利長の正室となった永姫の生母。
略歴[編集]
父親など出自に関して、あるいは彼女の実名についての史料は存在しない。信長に嫁いだ年代も不明だが、娘の永姫が天正2年(1574年)に生まれているため、それ以前に嫁いだのは明らかである[1]。
娘の永姫が天正9年(1581年)に信長の命令で前田利長に嫁いでおり、その所縁から本能寺の変で信長が死去した後は利長に庇護されていたようである。加賀藩の記録には彼女の没年、墳墓についての記録があり、元和4年(1618年)に彼女が死去した後に当時は越中国守山にあった鶴林寺に葬られ、後に同寺が金沢八坂に移った際に改葬されたという。また、利長は越中国の瑞龍寺の法堂の横に織田・前田家の御分骨廟を築いているが、ここには利長の父の前田利家、利長本人のほか、かつての主君で義父の信長、その長男の織田信忠、そして信長夫人のものがある。夫人とあるだけで誰のことかわからず、一説には濃姫とする説もあるのだが、加賀藩の所縁を考えると春誉妙澄大姉の可能性が高いとされている[1]。
娘婿の利長は慶長19年(1614年)に死去しており、それから4年も長生きしていることから、高齢だったと思われる。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。