大仁田厚

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大仁田厚(おおにたあつし、1957年10月25日‐)は、長崎市出身の日本の元プロレスラーである。FMWの過激デスマッチ路線で一世を風靡した。

略歴[編集]

中学卒業後、日本一周の旅に出るが旅の途中で実家が全焼していた。その後、全日本プロレスに入門しジャイアント馬場の付き人になる。全日本での若手時代は渕正信ハル薗田と合わせて若手三羽烏と呼ばれていた。渕とのコンビで海外遠征に出かけて帰国後はおりから日本マット界でブームだったJrヘビー戦線で活躍し、チャボ・ゲレロ・シニアをバックフリップで破ってチャンピオンになる。しかし、膝の複雑骨折で引退し、タレントに転向。『11PM』に出ていたがいつのまにかいなくなった。

ジャパン女子に招かれてグラン浜田と試合をしたが不評に終わる。

第二次UWFの会場に出向き挑戦状を渡そうとしたが社長の神に「チケットは?」と問われて憤慨する。

3万円で電話を引きFMWを旗揚げし、おもちゃ箱をひっくり返したプロレスと話題になる。やがて、過激なデスマッチ路線に舵を切って大成功する。

デスマッチで名を売った後は、高校夜間課程明治大学夜間部に入りなおして政界にも進出。大学も卒業した。さらに新日本プロレスにも参戦して話題になる。