扶桑村

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ふそうむら
扶桑村
廃止日1952年8月1日
廃止理由町制施行
現在の自治体扶桑町
廃止時点のデータ
日本国旗.png日本
地方中部地方東海地方
都道府県愛知県
丹羽郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口 7,848人[1]
(1891年)
扶桑村役場
所在地愛知県扶桑町大字高雄字畑尻34-1.3

扶桑村(ふそうむら)は、愛知県丹羽郡にかつてあった。現在の扶桑町

概要[編集]

愛知県は1905年(明治38年)秋から、地方自治体の強化を図るため、再び大規模な町村合併を企画した。扶桑地区でも関係の村々が協議し、1906年(明治39年)9月25日、区域を一部変更して合併が行われた。同年10月1日より施行され、ここに扶桑村が誕生した[2]

仮役場を高雄畑尻61番地に置き、行政事務を開始した。「扶桑」の名は、当時の丹羽郡長が「本村は桑園多し、ゆえに扶桑と命名したならば」と述べたのを受けて名付けたとされる[2]1906年(明治39年)4ヶ村を合併し扶桑村となった頃は、人口およそ7、800人余り、戸数400戸余りの自治体であった[3]

地理[編集]

1893年(明治26年)の大日本帝国陸地測量部の地図によると、当時の扶桑は、北新田・高雄・宮島・福塚・高木・斎藤・柏森・南山名・山那・小淵に、それぞれの集落が孤立したように分布し、集落と集落の間は畑、桑畑、雑木林の記号が書かれている。また、細長く帯のように水田になっているのは、昔の木曽川の流れた跡であろう[1]

人口[編集]

1891年(明治24年)の戸口は次のようであった[1]

村名 戸数 人口
山名村 475 2,303
豊国村 307 1,446
柏森村 281 1,170
高雄村[注釈 1] 619 2,929
合計 1,682 7,848

歴史[編集]

明治[編集]

大正[編集]

昭和[編集]

昭和[編集]

  • 1952年(昭和27年)8月1日 - 町制を施行して扶桑町が誕生。

自治体の変遷[編集]

明治初年頃 明治11年 明治22年 明治28年 明治39年 昭和27年 昭和29年 昭和37年 - 現在


木津村 高雄村 明治39年10月1日
犬山町に分離
昭和29年4月1日
市制施行 犬山市
上野村
下野村 高雄村 明治39年10月1日
合併 扶桑村
昭和27年8月1日
町制施行 扶桑町
下野原新田村
犬山羽根村
北山名村 山那村 山名村
岩手村
南山名村
高木村 豊国村
斎藤村
柏森村 柏森村
小口村余野 明治39年10月1日
大口村に分離
昭和37年4月1日
町制施行 大口町

行政[編集]

村長[編集]

村役場は1907年(明治40年)の記録によると、村長・助役・収入役の他に書記6名の構成であった[3]大正に入り本庁舎を建設する案が起こり、扶桑村役場は1916年(大正5年)11月18日に起工式、翌年12月10日に完成した。当時の村長は大藪勝蔵で、庁舎は扶桑町大字高雄字畑尻34-1.3にあった[6]

歴代村長一覧[編集]

氏名 就任日 退任日
1 小室泰一 1907年(明治40年)10月10日 1908年(明治41年)1月25日
2 高木荘五郎 1908年(明治41年)1月25日 1909年(明治42年)4月19日
3 千田清根
4 沢木一作
5 江口富三郎
6 大藪勝蔵
7 松山宮次郎
8 千田一
9 江口宗策
10 伊藤幸次郎
11 石田作市
12 仙田鎌太郎
13 遠藤甚吉
14 亀井勝吾
15 伊藤幸次郎
16 近藤作一
  • 出典:『扶桑町史(上)』扶桑町、1998年、383 - 384頁。

議会[編集]

扶桑村議会[編集]

丹羽郡会[編集]

愛知県議会[編集]

衆議院[編集]

選挙区は小選挙区制で、愛知県は11区に分けられ定数は11名であり、丹羽郡・葉栗郡は第4区で定数1名であった。

当選者 選挙期日 住所
第1回 宮田慎一郎 1890年(明治23年)7月1日 佐千原村

施設[編集]

警察[編集]

  • 柏森駐在所 - 1889年(明治22年)設立。受持区域は柏森・斎藤・高木。
  • 高雄駐在所 - 1889年(明治22年)設立。受持区域は高雄・上野。
  • 山名駐在所 - 1898年(明治31年)設立。受持区域は南山名・山那。

出身者[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 上野・木津を含む。

参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典23 愛知県
  • 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会 『扶桑町史 下』 扶桑町、1998年

関連項目[編集]