徳川大五郎
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徳川 大五郎(とくがわ だいごろう、宝永5年12月22日(1709年2月1日) - 宝永7年8月12日(1710年9月5日))は、江戸時代中期の江戸幕府の第6代将軍・徳川家宣の3男。第7代将軍・徳川家継の異母兄である。
略歴[編集]
将軍世継時代の家宣の男子として江戸城西の丸で生まれる。生母は側室のお須免の方(蓮浄院)である。宝永6年(1709年)1月28日、新田の姓を与えられる。11月2日、本丸へ移る。
母のお須免の方は徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が家宣との関係を深めるために大奥に入れて家宣に勧めた女性である。お須免の方は京都出身であったため、家宣の正室・近衛熙子(天英院)とも親しく、そのためすぐ下の弟・鍋松(後の徳川家継)と後継者争いを展開した。
しかし宝永7年(1710年)8月12日にわずか3歳で死去した。享年3。墓所は東京都文京区の伝通院。戒名は理岸院殿月光秋華大童子。これにより、家宣の子で唯一生き残ったのは鍋松だけとなった。