大隈庭園

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大隈庭園(おおくまていえん)は東京都新宿区西早稲田と新宿区戸塚町にある和洋折衷式の庭園である。

概要[編集]

江戸時代彦根藩井伊家と旧讃岐国高松藩の庭園であった。その後、1874年(明治7年)に大隈重信が入手し、1884年(明治17年)に洋風の芝生を取り入れた庭園に改修・作庭した。作庭は飛鳥山の渋沢邸、靖国神社の奥庭などを手掛けた佐々木可村である[1]。当時は都下屈指の名園と言われた。

大正11年に大隈重信の没後は、その遺志により、早稲田大学に寄附され、大隈会館の庭園となった。

諸元[編集]

  • 名称:大隈庭園
  • 開館時間:4月〜9月は9:00〜17:00、10月〜3月は9:00〜16:30
  • 休館日:月~土の授業実施日(天候不順日は閉園)。早稲田大学側だけでなく、北側のリーガロイヤルホテル東京の1階ロビーからも入園が可能であるが、春休みなど大学の長期休暇中には閉園となる。
  • 料金:無料
  • 所在地:東京都新宿区戸塚町1-104、東京都新宿区西早稲田1-6-1
  • 交通:京メトロ東西線 早稲田駅から徒歩4分、都電荒川線早稲田駅から徒歩4分。

古民家[編集]

ホテル側にある茶室「完之荘」は飛騨高山の古民家を昭和に移築したもの。1952年(昭和27年)早稲田大学校友の小倉房蔵から大学へ寄贈された建物である[2]。飛騨の山村に残っていた 600~700年前と推定される古民家を小倉房蔵の渋谷の邸内に移築し日常の座所として愛用していた[3]

エミレの鐘・韓鐘閣[編集]

韓国・慶州国立博物館で国宝32号として展示されている新羅の聖徳大王神鐘(通称:「エミレの鐘」)の1/2の複製品。早稲田大学創立100周年記念として、1983 年に早稲田大学韓国校友会から寄贈された。

童子石・文人石[編集]

童子石は男の子を象った墓前の石像で、朝鮮後期(19 世紀初~中期)の作品である。文人石は陵墓を護る守護像で、袍を着て、頭に冠、手に笏をもつ。朝鮮初期(15 世紀)の作。

旧大隈邸門衛所[編集]

旧大隈邸門衛所は早稲田大学で最古の建物である。現大隈会館、大隈庭園は、旧大隈邸の敷地内にあり、当時の門衛所が残る。

[編集]

  1. フェノロサ夫人・村形明子訳(2012)「フェノロサ夫人の東京日記(第17回)天皇誕生日・大隈庭園観菊会」望星 43(4), pp.82-90
  2. 早稲田大学施設部営繕課(1952)「「完元荘」-早稲田大学大隈庭園に移築された600年前の民家-」新建築 27(12),pp. 583-590
  3. 早稲田大学文化推進部編(2014)「キャンパスがミュージアム vol.2」早稲田大学文化推進部