崔林

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崔 林(さい りん、? - 244年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家徳儒(とくじゅ)[1]。従兄は崔琰。子は崔述崔随。孫は崔瑋。曾孫は崔悅

生涯[編集]

冀州清河郡東武城県(現在の山東省武城県)の出身[1]。若い頃は崔琰を除いて他の人物には評価されなかった[1]。また家は貧しかったという[1]曹操が冀州を平定すると招聘されて邬の長に任命されるが、貧乏のために徒歩で任地に赴いた[1]。後に冀州の主簿となり、別駕、丞相掾属に取り立てられる[1]。曹操没後は文帝に仕えて尚書となり、幽州刺史になったが呉質と対立してその讒言を受けて河間郡太守左遷される[1]

後に大鴻臚となり、文帝崩御後は明帝に仕えて光禄勲司隷校尉となり、最終的に司空に昇進した[1]。明帝崩御後は曹芳に仕えて244年に死去。

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 小出『三国志武将事典』P237

参考文献[編集]