小山田弥太郎
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小山田 弥太郎(おやまだ やたろう、? - 永正5年12月5日[1](1508年12月26日))は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。甲斐郡内の領主である小山田家の当主。正室は今川氏家臣の福島氏か朝比奈氏の縁者の娘と見られる[1]。子に信有。
生涯[編集]
武田信昌・油川信恵と武田信縄の家督争いでは前者に与していた[1]。また今川氏親に従属していたと見られている[1]。永正5年(1508年)10月の勝山合戦でも信恵を支持したが、この合戦で信恵が戦死する[1]。その後、弥太郎は頽勢挽回のために国中に攻め入るが、武田信虎の反撃を受けて敗死した[1](郡内合戦)。
死後、家督は嫡子の信有が継いだ[1]。法名は義山勝公禅定門[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6