宮本義男
宮本 義男(みやもと よしお、1920年1月3日[1] - 1995年4月25日)は、マルクス経済学者。和歌山大学名誉教授[2]、岐阜経済大学名誉教授。
経歴[編集]
大阪市生まれ[1]。和歌山県御坊市で育つ[3]。1941年和歌山商業高等学校卒業。1944年東京商科大学商学士試験合格[1]。東京商科大学在学中に高島善哉の指導を受けた[4]。財団法人世界経済調査会研究員。1945年福岡経済専門学校教授。1948年長崎経済専門学校教授。1949年学制改革により長崎大学経済学部助教授。1951年和歌山大学経済学部助教授、1958年教授。1958-59年在外研究員としてケンブリッジ大学で研究[1]。モーリス・ドッブの薫陶を受け、その弟子のロナルド・L・ミークと親交を深めた[5]。1961年「資本論研究」で経済学博士(京都大学)[6]。1964-66年和歌山大学経済学部長。1966年和歌山大学経済学研究科教授。1985年定年退職。岐阜経済大学経済学部教授。1993年定年退職、名誉教授[1]。
1981年に和歌山県知事の提唱で財団法人和歌山社会経済研究所が設立されると理事となり[7]、のちに副理事長を務めた[1]。和歌山県産業構造長期ビジョン策定協議会会長、同経済振興懇談会会長、同収容委員会第二順位予備委員[8]、同国土利用計画地方審議会委員[9]、同地域エネルギー開発利用事業化可能性調査検討委員会委員[10]、和歌山行政監察局和歌山行政苦情処理委員会委員、和歌山県公害審査委員会委員[11]、同長期総合計画審議会会長[2]、同地方職業安定審議会長、同大規模小売店舗審議会長、同中小企業対策協議会長などの公職も務めた[12]。
1985年に御坊市民文化会館で開催された自由民主党本部国民生活局と自由民主党和歌山県支部連合会主催のパネルディスカッション「高齢化社会に対応する福祉を語る会」でコーディネーターを務めた。パネラーは佐藤欣子、庭田範秋、佐分利輝彦、愛知和男、二階俊博[13]。
1995年4月25日、心不全のため死去、享年75歳[12]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『「資本論」研究序説――「資本論」の方法と構造とプラン』(ミネルヴァ書房、1957年)
- 『資本論研究――宇野理論を中心とする主要プラン論への批判』(大月書店、1958年)
- 『金融資本への道――金融資本成立論』(ミネルヴァ書房[社会科学選書]、1962年、第3版1964年)
- 『資本論入門(上・中・下)』(紀伊國屋書店[紀伊國屋新書]、1966-1967年、新装版1980年)
- 『「資本論」の再生産構造』(新評論、1968年)
- 『資本論の論理体系』(日本評論社、1971年)
- 『資本論の再生産論体系――恐慌論の基礎視角』(有斐閣、1977年)
共編著[編集]
- 『経済原論』(編、有斐閣[有斐閣双書]、1969年)
- 『教養の経済学――マルクス経済学と近代経済学の基礎』(菱山泉共編、有斐閣[有斐閣選書]、1978年)
訳書[編集]
- ロンルド・L.・ミーク『労働価値論史研究』(水田洋共訳、日本評論新社、1957年)
- マルクス『賃労働と資本』(山中隆次共訳、角川書店[角川文庫]、1963年/岩波書店[岩波文庫]、1969年)
- モーリス・ドッブ『成長と開発の経済学』(合同出版社[合同新書]、1964年)
- モーリス・ドッブ『経済成長と経済計画』(石川滋共訳、岩波書店、1965年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 「宮本義男教授 略歴・著作目録」『岐阜経済大学論集』第27巻第3号、1993年12月
- ↑ a b 『新世紀の国21――和歌山県長期総合計画』和歌山県企画部企画室、1986年
- ↑ 「座談会 和歌山県の近未来への展望」『建築と社会』第71巻第11号(通巻824号)、1990年11月
- ↑ 宮本義男『資本論入門(上)』紀伊國屋新書、1966年
- ↑ 大迫輝通「宮本義男先生をおくる言葉」『岐阜経済大学論集』第27巻第3号、1993年12月
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 『経済月報』第177号、紀陽銀行公務営業部、1981年10月
- ↑ 『和歌山年鑑 1983年版』ニュース和歌山、1982年
- ↑ 『和歌山県の土地概要』和歌山県企画部水土地対策課、1983年
- ↑ 『和歌山県地域エネルギー開発利用事業化可能性調査報告書』和歌山県、1983年
- ↑ 『和歌山年鑑 1984年版』ニュース和歌山、1983年
- ↑ a b 尼寺義弘「宮本義男会員を悼む」『経済学史学会ニュース』第6号(PDF)1995年8月
- ↑ 二階俊博著、「続・明日への挑戦」出版委員会編『続 明日への挑戦――21世紀の日本を見つめて』紀州新聞社、1986年