歩夫人

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歩夫人(ほふじん、? - 238年)は、後漢末期から三国時代にかけての女性孫権側室で死後に皇后位を追贈された[1]

生涯[編集]

孫権に仕えて丞相に栄進した歩隲の一族で、江南に移住した際にその美貌を孫権に見初められて寵愛を受けて孫権の側室となる[1]。孫権との間には孫魯班孫魯育の2人の娘に恵まれた[1]

彼女は嫉妬の気持ちが無く、他の妻妾とも仲良くしたので孫権からの寵愛が最も深く、孫権は彼女を正式に皇后に立てようとした[1]。しかし家臣らは皇太子であった孫登の母親代わりであった徐夫人を皇后にするよう推したため、孫権は皇后位に決着を付けられないまま10年を経て、歩夫人は238年に死去した[1]

歩夫人は周囲からの評判も良く、皇后と呼称されていたという[1]。没後に練師歩皇后の位を追贈された(『建康実録』)。

このように歩夫人は人格者だったが、残念ながら彼女の娘は2人とも呉を後年大いに乱した悪女となった。

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f 小出『三国志武将事典』P412

参考文献[編集]