嫡男

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嫡男(ちゃくなん)とは、一般的に正妻正室)が生んだ長男。正妻が生んだ全ての子を指す場合もある。 対義語は庶長子

概要[編集]

嫡男の場合は一般的に世子と同じ意味を有するので、いわゆる「跡取り」である。ただしよく勘違いされるが「長男であるから嫡男である」は間違っている。次男や3男であっても、諸事情により嫡男に昇格する例は幾つも存在する。嫡子嫡嗣(ちゃくし)とも言われる。仮に男子が生まれず、娘だけだった場合は嫡女(ちゃくじょ)と称される。

側室出生の嫡男[編集]

嫡男とは正室の長男、あるいは正室の子供全てを指す場合がある。しかし、その正室に子供が生まれず、側室に子供が生まれた場合などは、側室に生まれた子供、つまり庶子が嫡男に昇格することになる。著名な例では織田信長の長男・信忠徳川家康の3男・秀忠豊臣秀吉の3男・秀頼武田信玄の4男・勝頼などがそのケースである。

信忠の場合は信長に正室・濃姫との子供が生まれなかったので、側室の子で長男(庶長子)であった信忠が濃姫の養子となり、その上で嫡男となった。

秀忠の場合は正室・築山殿との間に生まれた長男、すなわち嫡男であった松平信康が秀忠が生まれた天正7年(1579年)に信康事件切腹し、次男の結城秀康は庶子の上に秀吉の養子、そして結城晴朝の養子になったことから後継から除外されたので、嫡男に昇格した。

秀頼の場合は、秀吉と正室・高台院との間に子供が生まれず、側室の淀殿との間に秀頼が生まれたため、秀頼が嫡子になった。

勝頼の場合は、長男の義信義信事件廃嫡され、次男の信親盲目で候補から除外され、3男の信之は早世したため、勝頼が庶子で健康な年長者として嫡男に選ばれた。

このように、長男でありながら嫡男に選ばれるのではなく、長男であっても諸事情で嫡子になれなかったり、廃嫡された例は多数ある。あくまで嫡男とは「跡取り息子」であり、長男という意味ではない。

関連項目[編集]