大名行列
ナビゲーションに移動
検索に移動
大名行列(だいみょうぎょうれつ)とは、大名が公式に外出する際に率いる行列のことである。
概要[編集]
江戸時代の参勤交代における大名行列はその代表的なものであった。
安土桃山時代から江戸時代初期までは大名行列は乱世の気風から臨戦的な行軍として位置づけられていたが、江戸幕府により政情が安定化した江戸時代前期以降はその意義が大いに薄れて形式化してしまう。大名行列はそれまでは質実剛健を旨としていたが、形式が重んじられて華美な様相に変化していった。
行列は江戸時代中期頃には形式が重んじられて道具役・鉄砲あるいは弓・挟箱・蓑箱・合羽籠・台笠・立傘・先箱・槍持・供頭・乗物と近習・駕籠掻き・草履取り・押の者・医師と続いた。供廻や諸道具などは大名の格式によって差がつけられ、大名の中でも最大の藩である加賀藩などは2500人余を従えたりもしていた。ただし、通常は100人から300人程度であった。
この行列を維持するには藩財政を大いに苦しめることになり、そのため各大名家などは場所によってはアルバイトやパートなどを雇って人数合わせをしたりしていた。また、次第に行列は町人などの見物となった[注 1]。
有名な桜田門外の変の時などは井伊直弼の大名行列が襲撃されたが、既に尚武の家風を失って形式ばかりを重んじていた大名家には襲撃に対応する力すらなく、井伊は水戸藩浪士らによって討ち取られている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 箱根大名行列(箱根湯本観光協会)
- 岩滝大名行列
- ケンペルが見た17世紀末の参勤交代大名行列『ケンプェル江戸参府紀行』