大久保そりや
大久保 そりや(おおくぼ そりや、1932年 - 2016年)は、在野の言語学者。小堀靖生[1]、おおくぼそりや[2]の筆名がある。
経歴[編集]
1932年徳島市生まれ[3]。1955年京都大学文学部言語学科卒業[4]。卒業後も在野で言語学を研究し、辞書を編纂する小出版社に勤めた[2]。1950年代に画家の中村宏、批評家の毛利ユリ(榑松栄次)と雑誌『批評運動』を始めた(1960年頃に終刊)[2]。中村は2012年に実施された聞き取りで「(大久保そりや)は、早々にして結婚して、しばらくして行方不明になっちゃってね。」と述べている[2]。
1970年度の美学校で講義講師を務めた[5][6]。1986年刊行の『内側の世界』訳者紹介には「人間活動論専攻」とある[3]。
洋泉社の創業者である藤森建二によると、2016年に83歳で亡くなった[7]。
言語論[編集]
『早稲田大学新聞』(早稲田大学新聞会)、『藝術・國家論集』(永井出版企画)、『情況』(情況社)等に言語や哲学に関する論文を寄稿した。カール・マルクスや梯明秀の影響を受け、疎外論を重視する立場から「言語共産学」と称する言語論を展開した。吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』、三浦つとむの言語論、中井正一の「委員会の論理」に対しては一定の評価をしつつも批判した[4]。
SF論[編集]
ニューウェーヴSF運動勃興直前の1962年、リトルマガジン『悪魔運動』に小堀靖生名義で発表した「SF論序」で、SFを「サイエンス・フィクション」ではなく「スペキュレイティヴ・フィクション」と考えたいと表明した。世界的に非常に早い時期のニューウェーヴSF論であるとされ[8][9]、日本で初めて「スペキュレイティヴ・フィクション」という名称を用いたとされる[1]。
山野浩一に評価され、『季刊NW‐SF』の第3号(1971年[9])から最終号の第18号(1982年)に「共産主義的SF論」を連載した。マルクス主義の立場からSFの理論の構築を試みたが、『季刊NW‐SF』の休刊により、未完に終わった[1]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『言語學批判と共産主義――言語共産學序説』 永井出版企画、1971年
- 『性活動論――共産主義的人間活動論 第1部』 季節社、1972年
- 『言語労働過程――直接的・同定的・異定的言語体の形成=取得の諸形態』 楡山書房、発売:ゆかげ・むつろま協会、1980年
共著[編集]
- 『吉本隆明をどうとらえるか』 北川透、片岡啓治、竹内成明、時枝誠記、重尾隆四、平田武靖、遠丸立共著、芳賀書店、1970年
- 『黒田寛一をどうとらえるか』 高知聰、喜里山博之、長崎浩、降旗節雄、富岡裕、成岡庸治共著、芳賀書店、1971年
- 『革命的暴力とは何か?』 全日本学生自治会総連合情宣部編、こぶし書房、1971年
訳書[編集]
- 『内側の世界』 ロバート・シルヴァーバーグ著、小川みよ共訳、サンリオ(サンリオSF文庫)、1986年
脚注[編集]
- ↑ a b c 岡和田晃 「共産主義的SF論」あるいはドゥルーズになれなかった男 ブックリスタ(投稿日 2016.08.06 更新日 2017.06.13)、2017年6月24日閲覧。
- ↑ a b c d 中村宏オーラル・ヒストリー 2012年3月30日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ (2015年1月18日)、2017年6月24日閲覧。
- ↑ a b 『内側の世界』訳者紹介
- ↑ a b 大久保そりや『言語學批判と共産主義――言語共産學序説』永井出版企画、1971年
- ↑ 美学校史覚え書き 美学校、2017年6月24日閲覧。
- ↑ 「発掘!美学校」 第3回 創立時(1969年、1970年)の生徒募集チラシ 美学校、2017年6月24日閲覧。
- ↑ 大槌の風: 追悼 大久保そりやさん宅を訪ねた頃 1581
- ↑ 6月 早過ぎたNW論者を追え! 前編
- ↑ a b 7月 早過ぎたNW論者を追え! 後編