夏侯威
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夏侯 威(かこう い、生没年不詳)は、中国三国時代の魏の武将・政治家。字は季権(きけん)[1]。父は夏侯淵。兄は夏侯覇・夏侯称。弟は夏侯栄・夏侯恵・夏侯和。妻は曹夫人 (曹真の末妹)。子は夏侯駿、夏侯荘。孫は夏侯湛、夏侯淳、夏侯琬、夏侯瑫、夏侯謨、夏侯總、夏侯瞻、夏侯光姫。曾孫は夏侯承。
生涯[編集]
夏侯淵の4男で、明帝時代の227年から233年にかけての間に関内侯となる[1]。荊州刺史・兗州刺史を務めた[1]。
夏侯威は男気あふれる人物であった(『世語』)。
夏侯威は人相見の朱建平から49歳で災難に遭うと予言されており、予言どおりに亡くなった(朱建平伝)。
『三国志演義』では夏侯淵の次男として登場。兄の夏侯覇と共に武勇に長けた人物で、司馬懿に従って諸葛亮の最後の北伐防衛に参加している。また公孫淵討伐にも赴いた。