夏侯恵

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夏侯 恵(かこう けい、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家稚権(ちけん)[1]。父は夏侯淵。兄は夏侯衡・夏侯覇夏侯称夏侯威夏侯栄。弟は夏侯和

生涯[編集]

夏侯淵の6男で、明帝時代の227年から233年にかけての間に関内侯となる[1]

夏侯恵には幼時から才能があり、奏議(上奏文の一種)を書くのを得意とした(『文章叙録』)。

魏の散騎侍郎・黄門侍郎を歴任し、鍾毓と論争したが多くは夏侯恵の意見が採用された[1]。燕の相、楽安太守と昇進するが、37歳の若さで死去した[1]

三国志演義』では夏侯淵の3男として登場。字も雅権(がけん)と変更され、弟の夏侯和と共に兵法に長けた人物で、司馬懿に従って諸葛亮の最後の北伐に参加している。

脚注[編集]

  1. a b c d 小出『三国志武将事典』P198

参考文献[編集]