夏侯栄
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夏侯 栄(かこう えい、207年 - 219年)は、中国の後漢末期の武将。字は幼権(ようけん)[1]。父は夏侯淵。兄は夏侯衡・夏侯覇・夏侯称・夏侯威。弟は夏侯恵・夏侯和。
生涯[編集]
夏侯淵の5男[1]。幼時から聡明で7歳の時に文章を書き、1日に1000字書物を読んで、目を通せばたちまち覚えた。曹丕がその評判を聞いて夏侯栄を招聘して自分の賓客100名以上に一人ひとり名刺を出させ、その後で全員の名前を尋ねるとその名前と顔を一人も間違えなかったという(『世語』)。
219年、劉備との定軍山の戦いにおいて父が戦死した際、側近が夏侯栄を助けようとしたが「主君や肉親を差し置いて助かることができようか」と言って戦い、13歳の若さで父の後を追った[1]。
『三国志演義』には登場しない。