堅田藩
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堅田藩(かたたはん)は、江戸時代中期から後期にかけて近江国に存在した藩。藩主家は譜代大名の堀田氏。藩庁は堅田陣屋。現在の滋賀県大津市堅田町に存在した。
概要[編集]
この堅田は琵琶湖における水運の支配地として重視された地であり、織田信長や豊臣秀吉の時代には堅田氏が支配して2万石を知行していた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで堅田氏は西軍に属して戦後に改易され、ここは天領となる。
元禄11年(1698年)、下野国佐野藩主の堀田正高が1万石で移封されて本堅田に陣屋を構えたことから、ここに堅田藩が立藩する。所領は滋賀郡・高島郡内で1万石であった。
この藩で最も有名な藩主が第6代藩主の正敦である。正敦は寛政2年(1790年)に若年寄となり、松平定信の寛政の改革に参与する。寛政10年(1798年)には聖堂再建の副奉行となり、寛政11年(1799年)には寛政重修諸家譜編纂の総裁に任命され、これらの功績により文化3年(1806年)に3000石を加増され、堅田藩は1万3000石となる。
文政9年(1826年)、正敦は旧領である下野国佐野藩に再度移封となり、堅田藩は廃藩、天領となり、そのまま明治時代に至った。
歴代藩主[編集]
- 堀田家
譜代。1万石→1万3000石。