坪井直

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坪井 直(つぼい すなお、1925年5月5日 - 2021年10月24日)は、日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原水爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。元中学校教諭。

略歴[編集]

広島県呉市出身。既婚者で長男あり。

広島工業専門学校(現在の広島大学工学部)3年だった昭和20年(1945年8月6日に通学中、爆心地からおよそ1.2キロメートルの場所で被爆し、大やけどを負った。橋の欄干付近にしゃがみこんで、救護所の治療を待つ坪井の姿が地元カメラマンによって撮影されているとされている。

戦後、中学教師として教壇に立ち、自らの被爆体験を子供たちに語り、ピカドン先生として親しまれ、子供たちに核兵器の恐ろしさ、平和の大切さを教えた。教職を退職後、被団協のメンバーとなり、アメリカインドパキスタンなどといった核兵器保有国に自ら赴いて体験を語る仕事を開始。平成12年(2000年)に代表委員に就任。平成16年(2004年)に広島県原爆被害者団体協議会の理事長も務める。しかし、高齢となどの病気で入退院を繰り返すこともあったとされる。それでも、日本政府に対して原爆症の認定基準を定めた被爆者救護法の見直しなど救済拡大を求めたりした。平成28年(2016年5月、アメリカの現職の大統領として初めて広島を訪れたバラク・オバマと握手し、核廃絶に向けて話し合った。平成29年(2017年7月、核兵器の製造や保有を全面的に禁止する核兵器禁止条約国連で採択された際には自ら歓迎するも、日本がアメリカの核の傘に依存する政策から参加しないことに嘆いていたという。また、この頃から病気で行事の参加が難しくなりだしたという。新型コロナウイルス下ではリモートで面会を繰り返すも、次第に会話も難しくなっていたという。原爆症のためかどうかは不明だが、造血機能が損なわれて病院でたびたび点滴を受け、癌の手術を含めて10回以上の入退院を繰り返していたという。

令和3年(2021年)10月24日午前10時35分、貧血による不整脈のため、広島市内の病院で死去した。96歳没。

自らの被爆体験から、坪井は常に「自分のような思いは他の誰にもさせたくない」「こんな愚かな兵器は一刻も早くゼロにしないと、人類の生存が危うい」と述べていた。

出演[編集]

テレビ[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]