坂井利貞
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坂井 利貞(さかい としさだ、? - 慶長13年6月13日(1608年7月24日))は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。
略歴[編集]
通称は文助[1]。織田信長に仕えた坂井政尚や坂井越中守らの同族と推定される。
弘治元年(1555年)12月、信長から19貫文の知行を与えられ、後に美濃国や近江国において所領を加増された。信長には馬廻として従っていたという[1]。
永禄12年(1569年)3月、信長の上洛に従って公家の山科言継と関係を持つようになり、言継が岐阜城に下向した際には利貞の屋敷を宿舎としている。後に馬廻から道路整備の奉行に任命されている[1]。
慶長13年(1608年)6月13日に死去した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。