戦闘機

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戦闘機(せんとうき、英:Fighter aircraft)とは、制空権を得るために武装した軍用機である。

概要[編集]

機動力を得るために機体は小型で、それに相反する強力なエンジンを持つ。

「制空戦」「要撃」「護衛」が主な任務となる。

戦闘機は格闘戦を行うため、機体を軽く、小さく作る方が良く、その方が燃費が良い上に、値段が安く抑えられる長所がある。しかし、高速、重武装することによって敵の爆撃機を攻撃する任務も考えなければならない。この相反する考え方は第一次世界大戦に始まり、今日に至っている。また、翼面荷重の大小に始まり、単座か複座か、単発か双発かといった議論は現在でも続いている。

航空母艦で運用する戦闘機は艦上戦闘機と呼ばれる。

歴史[編集]

第一次世界大戦[編集]

第一次世界大戦によって初めて登場した。機関銃で武装したが、その配置をどうするか試行錯誤が続いた。パイロットの目前に機関銃を配置するのが最も理想的な配置だが、そこにはプロペラが回転しており、機関銃弾がプロペラを打ち抜く可能性が大きかった。そこでフランス陸軍はプロペラに機関銃弾を跳ね返す金具を取り付けた。これによって機関銃弾の四分の一が跳ね返されたが、威力はその四分の一の損失を上回った。しかしこのフランス陸軍の戦闘機がドイツ軍の占領地に墜落し、パイロットがプロペラの破壊に失敗したため、金具の存在をドイツ軍の知るところとなった。ドイツ軍は早速、金具のコピーをしようとしたが、プロペラの回転と機関銃の発射同調装置に完成の目処が立ったため、これを取り付けた戦闘機が前線に投入された。この事態は「フォッカーの懲罰」といわれ、ドイツ陸軍の戦闘機は連合軍を駆逐したが、やがてこのドイツ陸軍の戦闘機も連合軍の占領地に墜落し、同調装置は連合軍の知るところとなった。

戦間期[編集]

戦争が終わり、連合国、同盟国で使われた多くの戦闘機が譲渡を希望する多くの国に売却され、それらの国の航空戦力の増強が始まった。大日本帝国陸軍フランスから、大日本帝国海軍イギリスから教官を招いて航空戦力の充実を図った。戦闘機も単葉機の採用や引き込み脚フラップ可変ピッチプロペラの採用、エンジンの出力増強で能力の向上を図った。

機体とパイロット[編集]

戦闘機はとても高価だが、そのパイロットはそれよりも高価、という描写をする作品は幾つかある。機体を捨ててベイルアウトする判断も時には必要な事とされる。射出座席 ()は現代の戦闘機の標準装備とされる。

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 大日本帝国海軍省『青年學校海軍智識』軍人會館出版課昭和15年5月20日改訂増補発行。