味舌藩

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味舌藩(ましたはん)とは、江戸時代前期の短期間に摂津国に存在したである。藩庁は味舌陣屋。現在の大阪府摂津市三島町に存在した。

概要[編集]

織田信長の弟である織田長益(有楽斎)は、豊臣秀吉に仕えて2000石の知行を与えられていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに長益は東軍として参加し、本戦で活躍したことから戦後に徳川家康から大和国山辺郡に3万石の所領を与えられた。

大坂の陣豊臣氏が滅亡した後、長益は自らの3万石から大和国式上郡・山辺郡・摂津国嶋下郡の内から1万石を4男の織田長政に与えて戒重藩を、さらに大和式上郡・山辺郡の内から5男の織田尚長に1万石を与えて柳本藩をそれぞれ立藩させた。残りの1万石は自分の養老料として味舌藩主となる。

元和7年12月13日1622年1月24日)に長益は死去した。このとき、既に長男の織田長孝や次男の織田頼長は死去していたので長益の1万石を継承する息子は無く、無嗣子で絶家となり、改易された。

歴代藩主[編集]

織田家[編集]

1万石。外様

  1. 長益