含笑院

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含笑院
がんしょういん
本名 いぬゐ
性別
時代 戦国時代前期
生年月日 不詳
死没日 大永7年6月24日1527年7月22日
肩書き 織田信定正室
国籍 日本国旗.png日本
子供 織田信秀
織田良頼?、:不詳
補足 織田信長祖母

含笑院(がんしょういん)は、戦国時代前期の女性織田信定正室織田信秀の生母で、織田信長の祖母に当たる。名はいぬゐ[1]

生涯[編集]

父は織田筑前守良頼とされる[1]。兄弟にあたる織田藤左衛門は清洲三奉行の1人である(『信長公記』首巻)。

信秀が永正7年(1510年)か永正8年(1511年)に生まれているため、それ以前に信定に嫁いだものと推定される[1]。含笑院が信秀の生母であるとする史料は、『妙興寺文書』・『清州町史』などによると多く存在している。妙興寺文書では「せうはた(勝幡より、いぬゐ)」と署名する年次不詳の消息があり、その文中に「三郎に申きかせ候へハ」とある。

大永7年(1527年)6月24日に死去。信秀は母親を弔うため、1周忌にあたる享禄元年(1528年)に清州の土田に含笑寺を建立し、6月3日に落成した。寺は江戸時代初期に名古屋城下に移され、信秀の菩提所である万松寺の末寺になっている[1]

法名は含松院殿茂岳凉繁。墓所は含笑寺の移転に伴って愛知県名古屋市東区にある[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣、1999年、140頁。

参考文献[編集]