向朗
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向 朗(しょう ろう、? - 247年)は、中国の後漢末期から三国時代の蜀にかけての武将。字は巨達(きょたつ)。甥は向寵。子は向条。
生涯[編集]
荊州襄陽郡宜城県の出身[1]。はじめ劉表に仕え、208年に劉表が死去すると劉備に仕えた[1]。劉備が益州を平定すると巴西郡太守に任命される。223年に劉備が亡くなると劉禅に仕え、諸葛亮の丞相長史に任命されて諸葛亮の南征中の蜀の留守を預かった[1]。
227年からの諸葛亮の北伐には従軍するが、228年に親友の馬謖が軍律違反を起こして逃亡した際にそれを黙認したため諸葛亮に恨まれて官職を剥奪された[1]。数年後に光禄勲として復職し、234年の諸葛亮の死後に左将軍に昇進する。晩年は80歳を超えていたが書物の校訂をしていたという[1]。247年に死去した[1]。
『三国志演義』では諸葛亮が益州平定で窮地に陥った劉備を助けに向かう際に関羽と荊州の留守を守る武将として登場。また益州平定後は馬良・伊籍らと関羽の補佐役となっている。