原広司 (画家)
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原 広司(はら ひろし、? - 平成31年(2019年)4月14日)は、日本の画家。
略歴[編集]
広島県広島市出身。既婚者で長男あり。昭和20年(1945年)8月6日に広島市への原爆投下が行なわれ、その翌8月7日に広島市内に入って入市被爆した。傷ついた多くの人に水を求められ、川におびただしい数の遺体が浮いた惨状を目の当たりにし、同級生の多くも命を奪われた。
以後、長年にわたって広島原爆などの証言活動を続け、昭和59年(1984年)にヒロシマを語る会を結成して証言活動を始めたのを機に原爆ドームの絵を描き始めた。昭和63年(1988年)にアメリカ・ニューヨークであった国連軍縮特別総会に被爆者代表の1人として参加する。平成4年(1992年)には北朝鮮在住被爆者の調査団の一員として訪朝した。晩年は老人ホームに入って描く機会は減っていたが、平成29年(2017年)10月、児童約400人が原爆の犠牲となった広島市立本川小学校に人生の集大成として原爆ドームの油絵を寄贈した。
平成29年(2017年)7月に国連で採択された核兵器禁止条約に日本政府が賛同しないことにも懸念を示していた。その作品は3000枚以上に及び、原爆の悲惨さや平和の尊さを訴えていた。