南松院殿
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南松院殿(なんしょういんどの、? - 永禄9年4月25日[1](1566年5月14日))は、戦国時代の女性。甲斐武田氏の一族。武田信虎の次女[1]。生年が不明のため武田信玄の姉か妹のどちらにあたるかは不明。穴山信友の正室[1]で穴山信君の生母。
生涯[編集]
生母は信虎の側室の内藤氏[1]のため、信玄とは異母兄弟姉妹となる。穴山信友の正室となり、天文10年(1541年)に長男の信君、生年不明の次男の穴山信邦、天文16年(1547年)に三男の穴山彦九郎を産んでいる[1]。永禄元年(1558年)7月13日に出家し、永禄9年(1566年)4月25日に病死した[1]。法名は南松院殿葵庵理誠禅定尼[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1