穴山 彦九郎(あなやま ひこくろう、天文16年(1547年)[1] - 永禄2年3月29日[1](1559年5月6日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣で一門衆。父は穴山信友で3男[1]。母は武田信虎の次女の南松院[1]。同母兄に信君、信邦。武田信玄の甥に当たる。13歳で早世した[1]。法名は香積寺殿玉映宗金禅定門[1]。